2016フォーブス億万長者 唯一の黒人女性 超有名番組司会者Oprah Winfrey

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写真:facebook.com/oprahwinfrey/

「アメリカの成功者」として、「世界に大きな影響を与える女性と」して、外せないのがこの人、Oprah Winfrey(オプラ・ウィンフリー)。

日本でいうと誰でも知っているタモリさんのような存在、つまりは大物司会者のオプラですが、司会業だけでなく経営者としても大成功をおさめています。

現在62歳のオプラは、フォーブスで「自力で稼いだ女性2015」「影響力のある女性2015」「2016年億万長者」などなど、数々のタイトルを総なめにしてきました。

また、3,100,000,000ドル(約3315億円)と言われている自己資本は、全て彼女が一から築き上げたものなのです。

オプラは、まさに、アメリカンドリームを証明してくれる生き証人といえるでしょう。

オプラの壮絶な生い立ちとは?

1954年、ミシシッピの小作人の家に非嫡出子として生まれ、幼少期は、母方の祖母の家ですごしました。厳格な祖母のもとで、社交的で早熟な女の子に育ちました。6歳になると、母親に引き取られウィスコンシン州へ。母親は、オプラに構ってくれる事はほとんどなかったようです。そのうえ、9歳の頃から複数回、いとこや母親の恋人によって性暴力を受けました。

この影響から、非行に走った彼女に手の施しようがないと判断した母親は、テネシー州に住んでいた彼女の父親の元に送り込んだのです。幸運な事に、厳格な父ながら、彼女はいまよりももっと優れている人間であるという事を信じさせてくれました。父親の導きにより、学校では優秀生徒となり、公共でのスピーキング能力をかわれ、最終的には、テネシー州立大学の奨学金を得る事が出来ました。

ニュースアンカーとしての挫折からの転身

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写真:facebook.com/oprahwinfrey/

1973年、大学2年生の年に、たった19歳のオプラはナッシュビルのWTVFーTVから共同ニュースアンカーに指名されるのです。彼女は、ナッシュビル発の女性アンカーであっただけでなく、黒人で初めてのアンカーでもありました。その後、バルティモアのWJZーTVからイブニングニュースのアンカーへの申し出を受け入れ、アンカーになりましたが、ニュースにあまりにも感情移入してしまう彼女は、ニュースアンカーとしてふさわしくないと見なされ、くびになってしまいます。

ただ、この一連をみて、彼女の報道に関する欠点の価値ある部分を見いだしたテレビ関係者がいたのです。1977年”People Are Talikng”というテレビ番組で、オプラをコーホストとして登用したのです。彼女の欠点と思われていた部分が活かされたテレビ番組は、様々なトピックを扱ったトークショーで人気はうなぎ上り。最終的には、トークショーというジャンルでNO1を獲得。彼女自身も、「これこそが私のするべき事だわ。まるで、息をしているかのように自然な事。」とかんじたとか。

その後、大都市シカゴのWLS-TVからAM Chicagoのアンカーオファーを受け、またこれも大ヒット。

次々と大ヒット番組を生み出した彼女でしたが、一番彼女をスターダムに伸し上げたのは、映画COLOR PURLEの出演オファーでした。COLOR PURPLEの役において、ゴールデングローブ賞とアカデミー賞でノミネートされました。

最終的に、1986年から始まった”The Oprah Winfrey Show”はたった五ヶ月で、国内視聴率3番目のテレビ番組となり、192都市、1000万人の人々が毎日見るようなマンモス番組になりました。

起業家としての一面

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写真:facebook.com/oprahwinfrey/

1986年には、自身のHarpo Studio というプロダクションを設立し、1988年には、彼女の番組の所有権と制作を引き継ぎます。後に、彼女の立ち上げた会社は、Harpo, Inc.となりテレビや映画制作、雑誌出版、オンラインメディア分野を中心に、250人以上もの社員を抱えます。

実は、彼女は巨大なビジネスを動かしているにもかかわらず、貸借対照表の読み方も分からなければ、企業モデルがあった訳でもなかったのです。彼女自身、ビジネスウーマンとして呼ばれる事を好んでおらず、AT&Tやインテル、ラルフローレン等数々の大企業から来た重役ヘ迎え入れるとのオファーも断ってしまいます。

それではなぜ彼女は成功したのか?

彼女が司会者として、番組制作会社の経営者として成功した理由は、溢れるほど量産されたタブロイド誌のようなトークショーとは一千を画した番組の作り方にあります。困難に直面している人々にフォーカスを当て、その問題に対しての解決方法を表してくれる番組として、単なる司会者の枠を超えたアメリカ文化を形作るリーダーとして先頭をきっていったのです。1990年代には、4億1500万ドルもの王国を抱え、ショービジネスで最も裕福な女性にのし上がりました。

人々のモチベーターとしての役割

今日でも彼女が、テレビで発する一言一言が注目を浴びています。スピリチュアル方面にも造詣が深く、様々な自己啓発系第一人者達とのセッションをもち、モチベーターとしても活躍しているオプラ。彼女自身が、女性に与える影響力は計り知れないものがあります。

彼女はこういっています。

I don’t think of myself as a poor, deprived ghetto girl who made good. I think of myself as somebody who from an early age knew she was responsible for herself-and I had to make good.

「私は自分自身を、成功した貧乏で恵まれないスラム街の少女とは思っていません。自分の人生は自分自身に全ての責任があり、自分で成功しなくちゃいけないんだということを小さい頃から知っていた子だったのだと思います。」

Follow your instincts””That’s where true wisdom manifests itself.

「本能に従って」「そうすれば、本物の才能と知恵がうまれてくるでしょう。」

小さい頃から、自分の人生を自分の手で築き上げていく覚悟を持ちながら、自分の得意な事、好きな事を追求していったオプラ。

現在も、彼女のストーリーに勇気づけられる女性は後をたちません。

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